なぜ、猫を飼うことになったのか、というと。
こういうわけであった。
私は赤ん坊のころから犬が大好きだった(猫も好きだったが)。
そう、犬。
生まれて初めて発した言葉は「ワンワン」であり、長じるにつれ犬が欲しくてたまらなくなった。
しかし、私は生まれも育ちも公団の賃貸集合住宅である。3階建ての3階に住んでいた。当然、犬猫を飼うことは禁止されている。なので、うちでは金魚とか小鳥とかカメとかザリガニとかオタマジャクシとかを飼うのがせいいっぱいだった。
小学校の2年生のときには、ノラ(たぶん)の子犬をベランダにつれこみ、親に内緒で飼おうとしたが、その夜にすぐに見つかってしまった(あたりまえ)。
それから数年がたち、犬を飼うことは半ばあきらめかけていた11歳のある日、なんと、公団を出て家を買うことになったのであった。 おお、これで犬が飼える! 父も大の犬好きである。庭付きの一軒家に日本昔話に出てくるようなちょっと大きめの茶色い犬! ああ、お父さんの好きなシェパードでもいいな! あふれる期待! 犬との至福の生活! 私の胸は喜びでどんちゃんさわぎになった。
が、しかし。母のわがままにより、買う家というのはマンションになってしまった。昔のことであるから、当然、犬猫を飼うことは禁止されていた。
ああぁ、なんという悲劇。もはや永遠に犬が飼える日は訪れないのであろうか。
悲嘆にくれたまま、小学6年の夏休みになり、新しいマンションに引っ越した。 まだ住人は少なかった。 そして数カ月がたち、私は目撃してしまったのだ。西棟の2階のおばさんが、2匹のポメラニアンを抱いているのを。
これは、どういうことだ? よくよく観察してみると、他にもマルチーズやらヨークシャーテリアやらを飼っている住人がいるではないか。管理人さんだって気がつかないはずはない。 そこで、「私は、こ・ど・も。だからずうずうしく他人の事情を嗅ぎ回っても大目に見てねん」と自分に許しを乞うて探った。
その結果、みなさんは「自分の持ち家なんだから、他人に迷惑をかけさえしなければ犬を飼ったって文句ないでしょ」と思っていらっしゃるということが明らかになった。なるほど、そういう考え方もあるのか。 その新たな哲学(そんなたいそうなものか?)が、じきに12歳になろうとしていた少女を、狡猾な女に変えてしまうことになるとは、いったい誰が予想できたであろうか 。
狡猾になった私は、両親を脅迫した。
その内容は「マンションでもみんな犬飼ってるじゃん。ずっと鍵っ子一人っ子でさみしかったんだから責任とってよ! 犬がダメなら兄弟飼ってよ! じゃなきゃグレてやる!」とゆーよーなどーしょーもないものであった。ちなみに当時は手乗りの白文鳥、ルビーとルルを飼っていたため、当然母は「ルビーとルルがいるでしょ」と反撃。そこで私は「小鳥じゃ抱きしめらんない!」と抵抗。しかし母は「犬はこわいからイヤよ」という。「じゃあ猫!」というと母は「私、猫こわいからイヤよ。おじいちゃんが、猫は魔物だって言ってたのよ」とのたまう。父は父で「犬がイイ」という。すると母が「小さい犬ならあんまりこわくないかもしれないわね」という。「座敷犬はイヤ。大きいのがいい! じゃなきゃ猫!」と私。「猫はヤダ。座敷犬もヤダ。シェパードがイイ」とクールダウン父。まったく収集がつかんではないか。
ああ、もう! こうなったら残る手はコレしかない。必殺大声泣きわめき攻撃だ。などと冷静に考えられるハズもなく、頭に血がのぼりきった私は自分でもわけもわからず、泣きながら大声でわめきまくった。
自分で言うのもナンだが、子どもの頃の私は非常に聞き分けがよく、強行に何かをねだるということもなく、優等生で、まったく自立しているように見える立派な子どもであった。その私があの剣幕で泣きわめいたものですから、さぞかしご両親はびっくりなさったのでございましょう、何やらわからぬうちに「猫を飼ってもいい」という許可がおりまして、沸騰した私の頭も徐々に冷めていったのでございます。
そして、翌日から、晴れて養猫探しをはじめることになったのでありました。めでたし、めでたし。
<完>