猫の空論◎NECO_no_KoolON

猫と暮らしています。

生物記/はじめに

u00.jpg触れあった猫やその他の動物の思い出話、よもやま話などをつらつらと書いていこうというコーナーです。その内容は

…つばめ帰去来、韮崎の猫の一飯の恩、初発言わんわん、狂犬病の犬、ごめんねチーコ、金魚大虐殺事件、ざりがに大虐殺事件、おたまちゃん、ありの巣あり塚、とかげのしっぽ、ベランダのすずめのひな、なんでリスが?、かえってきたぴーこ、小鳥遍歴 、でんでんむしの思い出(赤ちゃんでんでん、色々ふん、つぶれでんでん)、小学生のときに出会った片方の前足が切断されてた猫、小学生のときに拾った?子犬のコロ、108号棟のコリー、冬眠に失敗したミドリガメ、稲取のウミガメ、海釣り、小学校の釣り大会、遠足でみつばちと歩いたこと、アヒルのキック、夜店の金魚菌で絶滅した我が家の金魚たち、カマキリの卵孵化事件、猫間引き、ハッピーの花火、花子、保育園のシロ、城址公園の黒猫(死んでた)、満月にふくろう、沖縄の動物、ケニアの動物、バリの猿やイヌやヤモリやカエル、猫立ち寄り所(ハナちゃん、ミケちゃんの話)、キナちゃん、コウモリさん、おやすみツバちゃん、つれないからす…

などなどの予定です。
つらつらと更新していきまッす。

photo by くろ

猫間引きの話

kubidou.jpgあれは、今から30年も前のこと。私がたしか小学5年生の夏、だったと思う。団地の広場で友達数人と遊んでいたときのこと。
余談だが、その広場には首塚と胴塚とよばれる、小学校の校庭にある築山程度の小さな二子山があった。

樹木がたくさん生えていて、樹の根を人骨にたとえておばけごっこ?をしたり、自転車でてっぺんから滑り降りたり、虫をつかまえたりして遊んでいた。そこは古戦場のあとで、その塚には本当に、戦いに敗れた兵士の首と胴が別々に埋められていたのだ。そのいわれを記した立て札には「この塚に登ったり、遊んだりしないでください」というようなことも書いてあった。

とまあ、そういう恐ろしい広場で元気に遊んでいた。のどが乾いたので、隣の敷地にある団地の集会場に水を飲みにいこうと歩いていると、同じクラスの女の子が小さな紙の箱と小さなシャベルを手に歩いてきた。
その子は団地の子ではなく、ちょっと離れた場所の農家の子だった。どうしてこんなところにいるんだろうと、ちょっと不思議だった。私もいっしょにいた友達も、その子とは遊んだことがなかった。いじめられっ子というわけではなかったが、何となくみんな近寄らなかった、そんな子だった。その子が、ニコニコと笑いながら私たちを手招きする。
「どうしたの?」とみんなで近寄っていった。
その子は箱のふたをあけて、中を見せてくれた。
mabiki.jpg「なに、これ?」「ねずみ?」「どうしたの?」
みんな初めて見る変な生き物にオドオドしていた。私もちょっとドキドキしていた。ちいちゃくて、はだかのような、うっすらと綿がついたような、変な生き物が何匹か入っていた。目も開いていないし、動いてもいないが、呼吸をしていることはわかった。
「これ、猫だよ」とその子はちょっとだけ得意げに言った。
「これ、猫?」とみんなで驚いた。 ほんと〜に生まれたての猫を見たのは、みんな初めてだったのだ。
「うん。埋めてこいって言われたの」その子はニコニコしながら言った。
一瞬、耳をうたがった。友達どうしでちょっとの間、顔を見合わせたあと、誰かが聞いた。
「どうして埋めるの?」
「増えちゃうから」
「どこに埋めるの?」
「まだわかんない。いっしょに来る?」
「ううん、いい」
「じゃあね」
そんなようなやりとりがあった後、その子は一人でどこかに猫を埋めにいった。
残った私たちは、「かわいそう」とか、「ひどい」とか、ポツリ、ポツリと言ったものの、だからって何をすることもなく、しぼんだ気持ちでただうだうだとしていた。

ちょうど、社会科の授業で「間引き」の話を聞いたばかりのころだった。これが「間引き」というものなのか、と実感した。
いくら考えまいとしても、猫たちが埋められていく姿と、人間の赤ん坊が埋められていく姿がオーバーラップしながら次々と頭に浮かんでしまい、すごく怖かった。きっとみんなも、そうだったんじゃないかな。誰も、そんなことは言わなかったけれど。

photo by くろ

猫に一飯の恩

ippan.jpgそれは、まだ私がヨチヨチ歩きの赤ん坊のころ、山梨県韮崎市の伯母(以後、仮に夢子おばさんとします)の嫁ぎ先の家に連れていかれたときの話。自分にはそのときの記憶はまったくないので、母や夢子おばさんから聞いたことですが。
夢子おばさんの嫁ぎ先は農家で、当時は母屋と馬小屋がつながっていて、横に長い家という感じだった。猫を1匹飼っていて、広くて長い縁側の片隅に猫用のご飯皿が置いてあった。
昼だか夕方だかはわからないが、人間たちは座敷で食事をしながら歓談をしていた。ふと気がつくと、赤ん坊がいなくなっている。これはタイヘン!とあわくって探したら、なんと、縁側で、猫といっしょに味噌汁かけネコマンマを食べていたそうだ。
「やだよぅ、この子は。まぁよく、猫にひっかかれなかったじゃんけぇ」とかなんとか言われたそうだが、まったく、心のひろい猫であったのだな。
その猫のことは何も憶えていない。名前も知らない。ネコマンマの味も憶えていない。でも、この恩は一生忘れないよ。

photo by くろ

ハッピーの花火

happy.jpgまたまた韮崎の夢子伯母さんの家での話。 いつのことだったか季節も定かではないけれど、たしか私が小学6年生か中学生になったばかりか、そんなころのことだったと思う。そのころのお気に入りだった、水色の木綿の長袖のシャツを着ていたことは憶えている。
当時、夢子おばさんの家には、白くて、中くらいの大きさで、耳の先っぽがちょっぴり垂れていて、片方の目のまわりにうす茶色の斑点があるかわいい犬がいた。
犬の名前はハッピー。私は犬と遊べるのがうれしくてうれしくて、ハッピーといっしょに田畑の中を走りまわったり、庭でじゃれて遊んだりした。お気に入りのシャツの袖がハッピーに甘がみされて、よだれまみれのぼろ布のようになってしまったけれど、そんなことはちっとも気にならなかった。

おばさんの家の改築祝いかなにかだったのか、そのときは、後から他のいとこたちも何人かやってきた。いとこたちと森の中に探検(?)にも行った。森の中には角がある大きな動物の骨があってドキドキした。大人たちに話すと、たぶん、迷い牛だろうということだった。
夜、みんなで花火をした。ハッピーは花火が怖いのか、ちょっと離れたところで逃げ腰で見ていた。花火も残り少なくなり、最後にちょっとした打ち上げ花火のようなものをやることになった。地面に埋めてやるタイプのものだが、普通の花火セットに入っているものだから、そんなに大したものではない。

でも、“バ〜ン!”とかなり大きな音がした。ハッピーはすごくびっくりしたのだろう、「キャン!」と一鳴きすると、一目散に走っていってしまった。

ハッピーは首輪はしていたが、つないではいなかったのだろうか。記憶はさだかではない。夢子おばさんの家は田畑の中の一軒家で、隣家ははるかかなたに小さくしか見えないほど遠い。裏には広い森が広がっている。大きな車道もない。だからわざわざ、犬をつないでおく必要はなかったのかもしれない。
それとも、つないではあったけれども、逃げる勢いで綱がはずれてしまったのだろうか。

そして、ハッピーは戻って来なかった。
最初は、どうせそこらへんの茂みにでも隠れているのだろうと思った。でも、名前を呼びながら辺りを探しまわっても、ハッピーはでてこなかった。
「朝になれば戻ってくるけぇ」と夢子おばさんは言ったけど。
でも、それっきり、ハッピーは戻って来なかった。

家に帰って来てからも、しばらくはハッピーのことが頭から離れなかった。
森の中に迷いこんでしまったのだろうか、あんなに恐ろしい花火をする家には帰れないと思ったのだろうか、崖で足でも踏み外してしまったんじゃないだろうか、他の野犬たちの群れに加わって迷い牛を襲って食べているのじゃないだろうか、でもひょっとしたらいい人に出会って飼われているんじゃないだろうか…そんなとりとめもないことを、いろいろ、いろいろ、考えた。ハッピーはそのあと、どんな人生を送ったんだろうか。
不用意に打ち上げ花火なんてしなければよかったと思った。ハッピーは花火を怖がっていたのに。なんで、ハッピーが逃げて行ってしまうかもしれないと、予測することができなかったのだろう。なんて、バカだったんだろう。
すごく辛くて悲しかった。でも、ハッピーの飼い主の夢子おばさんやおじさんの方が、本当はもっとずっと悲しくやるせなかっただろう。わざわざ訪ねてきてくれた甥っ子や姪っ子の花火のせいでハッピーがいなくなっちゃったわけだし。

ハッピー、夢子おばさん、おじさん、本当にごめんなさい。
打ち上げ花火を見るたびに、ハッピーの顔を思い出すよ。

photo by くろ

つれないカラス

karasu01.jpg私はカラスが好き。風の強い日に羽を拡げて風乗り競争をしたり、犬や猫をからかったり、工事現場の音を真似たり、犬の鳴き声を真似たり、う〜ん、ぶらぼ〜〜拍手
でも、カラスは私につれない。
知り合いに、けがをした子ガラスを助けてしばらく介抱していたという人がいる。そのカラスは放されたあとも、たまにその人の家にやってきて、名前を呼ぶと返事をしたそうだ。
うらやましぃ〜。
よし、私もカラスと友達になるぞ!と思っても、けがをしたカラスがそうそう落っこちているわけでもないので、カラスがいたら話しかけたり、手をふってみたり…(ああ、これじゃあ、ただのあぶないおばさんか...?)
そんな努力の甲斐とはなんの関係もないが、今年の春、うちの前の銀杏の樹にカラスが巣を作りはじめた。巣材は針金ハンガー。よっしゃ〜、チャンス!とばかりに、私はベランダにたくさんの針金ハンガーとか、巣材によさそうなヒモとかを、これみよがしに置いておいた。なんと、カラスは持ってってくれましたよ。ちゃんと。

karasu02.jpg
そして、夜明け頃にうちの黒猫ウェイちゃんがガラス戸越しにカラスと会話をするところも、しばしば見られるようになりました(内容は不明。カラスがウェちゃんをからかってただけかも)。
これで、子ガラスが生まれて育っていくのを、家に居ながらにして間近で観察できるぞ、うっしっし〜ときめき
しかし、あっという間に銀杏の葉が生い茂り、すべてが覆い隠されてしまいました。
しゅん失恋
(わ〜い、初めて絵文字使ったあ。楽しい温泉

photo by くろ

ごめんねチーコ

chiko.jpg(暗くてやな話だなぁと思うけど、いつか書かないと昇華されないっていうか...なんで思い切って書いてしまった。はぅ〜汗

私が憶えている、一番古い、人間以外の家族はカナリアのチーコ。
もしかしたら私が生まれる前からいたのかもしれない。
チーコはオレンジ色、う〜ん、というかピンクグレープフルーツの色というべきかな。時折、かわいいきれいな声でさえずっていた。キュウリや菜っ葉を食べたり、陶器の水入れで水浴びしたりしていた。
手乗りではなかったから、一日中カゴの中にいた。
てっぺんがゆるやかな半球体になっている円筒形のそのカゴは、緑色の鉄製で、とても重かった。掃除がしやすいように、底面が引き出せるようになっていた。

そのころ私たち家族は、公団の3階の部屋に住んでいた。昔の鉄筋コンクリート造りで、2DKにしては広々としている。ベランダもとても広かったので、子供用の鉄製の青いブランコも置いてあった。庭付きのテラスハウスタイプの棟に住んでいたKさん一家が、引っ越して行ったときにくれたブランコだ。
天気の良い日中は、チーコのカゴはブランコに置かれていた。小鳥はたくさん日光浴をしないと「クル病」になるからだ、ときかされた。夕方になると家の中に入れ、眠る時にはカゴの上からカバーをかけてあげていた。

あの日も、チーコのカゴはベランダに置かれていた。
父はまだ職場から帰って来ず、母は具合が悪いといって寝込んでいた。日が暮れてきて、私はチーコのカゴを家の中に入れてと頼んだ。でも母は起き上がってはくれなかった。私は「チーコが死んじゃう!」と何度も何度も繰り返し叫んで母に頼んだ。それでも母は起きてくれない。カベの方を向いたまま「あんたが入れてあげなさいよ」と言う。
私は哀しくてくやしくて、ベランダに出て、必死でカゴを持とうとした。でも、鳥カゴは大きくて重くて、びくともしなかった。引きずることすらできなかった。というか、ムリに引きずろうとしたら、カゴが倒れて、中身がぐちゃぐちゃになって、チーコが死んでしまうのではないか...という恐怖が先に立ち、思い切って動かすことができなかったと言った方がいいかもしれない。
もう冬で、私の誕生日の前だったか後だったか、だから4歳か5歳かどちらかだった。そのくらいの子供には、鉄製の鳥かごを持つことはできないのだろうか。それとも私の根性が足りなかったのだろうか。

鳥カゴを入れることができなかった私は、大泣きをしながら更に母に執拗に迫った。カゴが重くて持てないからお母さんが入れて、と。
すると母は、私も具合が悪くてできないから、毛布をかけてあげればいいでしょ、というように応えた。
なんで母は起きてくれないんだろう。不思議でならなかった。今でも不思議だ。病院に行くでもなく、お医者さんが往診にくることもなかったのだから、大した病気ではないはずなのに。せいぜい風邪とか、生理痛とか。あるいは、当時、父の職場は危険な状態だったので、そのせいで精神的に参っていたのかもしれないが。
でも、鳥かごを家の中に入れる、たったそれだけのことができないなんて。

兎に角、母にこれ以上頼んでも無駄だと悟った私は、自分が赤ちゃんの頃に使っていた、犬の絵が描いてある小さな毛布をチーコのカゴにかけた(この毛布は子犬のコロを連れ込んだ時にも使ったものだ。その話はまた今度)。そして毛布の上からカゴを抱いて、しばらくの間「チーコごめんね」と言いながら泣いていた。
そして部屋に入って眠った。

朝、チーコはカゴの底で冷たくなっていた。
毛布なんてかけても、何の役にも立たなかったのだ。
いや、もしかしたら、毛布の上からさらに冬用の分厚い布団をかけてあげれば助かったかもしれないけど。

チーコの亡骸を見たとき、母がどうしていたのか、泣いていたのかどうか、私は知らない。
もし、私があのときの母だったら、もしも本当に起き上がれないほど具合が悪いのだったら、娘にお隣の人か下の階の人を呼びに行かせただろう。私が憶えているかぎりでは、どちらのおばさんもとてもいい人だったし。
いいや、あのとき、私だって、隣人に助けを求めるなんて思いつかなかったわけだし(もちろん、子供だったからなのかもしれないけど)、母にだって母の事情があったのかもしれないし、一方的には責められないのだけれど。
いくら考えてもわかるはずがない。私は、長じてからも、その理由を母に尋ねることはできなかった。もちろん、今でも。
だから。
チーコは私たちのせいで凍え死んでしまった。
確かなことは、それだけ。


もう、あれから36年も経ってしまった。
そしてチーコの死は、永遠に私の枷になるのだろうな、と想う。

photo by くろ

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by 彦すけあ










































































































































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